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プロフィール

トリルMM

Author:トリルMM
30代で発病 女性
2006年5月に膠原病である
「成人スティル病」を発症。
現在、寛解中。
体質改善に励んでいる。

スティルの細かい入院記録は
カテゴリー「スティル病」に。
スティルの経過ダイジェストは
カテゴリー「スティル記録」に
掲載しております。


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ザ・歌謡曲

ここ1ヶ月くらい、ラジオを録音して聴いている。
テレビ番組名で言うと、もう終了してしまったけど、
「歌の大辞テン!」みたいな、懐かしい曲を振り返る番組です。
洋楽も邦楽も。

1980年代が一番自分にはストライクなんだけど、
1990年代になると、曲は聴いたことはあるけど、
胸にズシンと来ない。

1980年代が一番思い出が多いんだろうな。
というか、もうシャレにならないほど、当時にトリップする。

その年の流行りものやニュースも、パーソナリティが話してくれる。
聞けば「ああ、そんなことがあったよね」と思う。
しかし、歌のパワーにはかなわない。
そのころあったことが、走馬灯のように(?)
勝手に脳内でビデオのように流れ出す。

  「走馬灯のように」って言葉は、死ぬ間際の回顧しか使えない?

アルバムの写真なんて、ほんの1ページって感じ。
何でこんなことを思い出すんだろうってほどに。
脳のどこに記録されているんだろう。

あまり好きでなかった曲まで歌えたことにビックリしたし。

何回か引越ししたけど、その曲をどこで聞いていたか、
何をしてたか、誰といたか、しっかり思い出せるし。

歌を作る人も歌う人もすごい。
聴いた人の当時の記憶を、その曲にパッキングしちゃうんだから。

胸がズキズキするのを承知で、聴いてしまう。
レコードとかCDとかを自分で用意するのと違う、
ラジオで不意に流れてくる好きな曲は、すでに持っていても
「あっ、ラッキー!」と、なぜか思ってしまう。

ところで私は思う。
ラジオは日替わりで司会なんだけど、
同年代のオバチャンパーソナリティーの日の方がいいな。
新人パーソナリティーは、
特集の年によっては、まだお産まれではなかったりして(若い!)
色々紹介しながら、本人は面白くはないだろうなって考えてしまう。
こういう番組は、ある程度オバチャンの方がいいと思うよ。

・・・古い曲が聴きたいなんて、自分も年取ったなあ。
でも「あの頃をやり直せたらな」とは思っても、
「戻りたい」とは思わない。
若いときって楽しかったけど、苦しかったなと思う。



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父が3ヶ月のリハビリを終え、家に戻ってきた。
肝臓ガン、糖尿病を抱えた身で、さらに脳梗塞になった父である。
左半身不随であった。

家にいるのは。
本当はリハビリ病院退院の後、
すぐに別の病院で、延期になっていた肝臓ガンの手術となるはずが、
何の都合か、直に入院できなかったのである。

病院ではリハビリをがんばったらしく、
家の中くらいは杖なしで歩けるようになった。
これは素直にエライ!と思っている。

しかし!

「こんなに前と違う姿では、近所は歩きたくない」
と、かたくなに家に閉じこもっている。

「外に出て脳に刺激を受けないと、新しい血管ができないよ。
 家でテレビのお守りばっかりしててもさあ」

と、私はやんわり言ってみたりする。

気持ちはわからないでもないけど、
せっかくいい調子になってきたのに、
回復した筋力が衰えるんじゃないかと思う。

まあ私もプレドニンで太った姿を人前にさらしたくなかったので、
あんまり偉そうなことも言えないけれど。

しかし!

病院にあったウォーキングマシンや、
リハビリ用自転車まで買おうとするのはどうなの?
ほとんどが畳のこの家のどこに置くつもりなのか?
というか、
あれはリハビリ用で、あくまでも家での生活に慣れるための
基礎の動きの筋力を鍛える道具では?
普通に庭を歩くだけで、充分だと思う。
リハビリのためのリハビリになってしまっている気がする。

いつもこたつに張り付いてしまって、薬を飲んだ後のシート(ゴミ)や
みかんの皮すら自分で始末しようとしない。

病院ではあんなに張り切ってリハビリしてたのに。
実生活で自分の出したゴミすらゴミ箱に入れないって、
なんか方向間違ってないか?
リハビリは実生活で不便がないように訓練するものじゃないの?
別に家事をしてほしいとは思ってないけど、
ゴミ箱に入れるくらいは自分でやらなきゃ。

「何のためのリハビリだったの?」

と口から出かかるのを押さえ、

「自分のゴミは自分で捨ててほしい」
とテーブルを拭きながら言ったら、
「そんなことおまえらがやればいいんだ!」とキレられてしまった。

こっちもキレる。
しかし、きついことはさすがに言えないのだ。
相手は病人。
それに病気が病気だけに、血圧を上げさせてはいけない。
しばらく目を合わせない日が続いた。私は黙ってキレていた。

元はといえば、肝臓ガン、糖尿病を持っているのにも関わらず、
健康な人でもありえないほどのむちゃくちゃな飲酒。
それに加え、一日中口から離さなかったタバコ。
糖尿病のカロリー制限を完全に無視した間食。
家族にものすごく心配をかけて、結局倒れ家族の世話になっている。
家族だって「あんなに言ったのに・・・」とストレスがたまるのだ。

ある日、親戚が見舞いに来たときに
「退院したらまた酒飲むぞー!」と父が発言したため、
親戚は怒り、二度と見舞いに来なくなった。

当たり前だ。
親戚だって余興に来ているのではない。
時間を割いて心配して来るのに。

またある親戚は
「退院したら、また一緒に酒が飲めるな」と父に言ったため
私たち家族のヒンシュクをかい、
「こんな状況なのにまだ飲ませるつもりですか!」
と母を怒らせた。
(全くこの親戚は・・・空気の読めん・・・)

不可抗力の病気は仕方ないと思っている。
誰だって病気になる。
家族が病気になれば、全力で看病しようと思う。

でも本人が生活を見直して、治すつもりでいてくれないと。

よくネットで、病気になった家族をものすごく心配して
細かく質問しているサイトを見かけるけど、
私はうらやましくて仕方がない。
読みながらバカみたいに涙が出る。

「おまえらがオレの世話をするのは当然だ」という態度が
素直に心配する気をなくさせる。
看病する方もね、いつもいつも体調がいいわけじゃない。

そして「どうせまたお酒を飲むんだろうな・・・」と思うと、
今、身の回りの世話をしたり、糖尿病食を作ったり、
遠い病院まで通ったりすることがつらくなる。


ショールを車のドアにはさんで汚してしまったので
クリーニングに出した。

そして、返ってきたショールに紙がはさんであった。

何だろう?

「地球に思いやり 温かな衣生活」

ということで、「暖房に頼りすぎず、衣服を工夫しよう!」
という趣旨のことが書かれていた。

衣類は、汚れると線維の隙間の空気層が覆われて
断熱効果が失われてしまい、保温性が低下する。
それに加え、湿気を吸いやすくなるので、
体温が奪われてしまうそうだ。

「服はまめにクリーニングをしよう!」
という、半分宣伝のようなものだとは思うけど、
「汚れた衣服は寒い」ということにちょっとびっくりした。

「汚れた服は衛生的に問題がある」
としか、考えたことがなかったから。

でも言われてみればそのとおりで、
せんたくしたての清潔な服は、軽く、温かい。
私は冷え防止に絹の五本指靴下健康法や
レッグウォーマーのお世話になっているけど、
取り替えると温かくてホッとする。

寒ければつい暖房のスイッチを押しがちになるけど、
南極の氷が溶け、地球の温暖化はじりじりと進んでいるようだし、
せんたくしたての服で暖がとれるなら、工夫して重ね着をして
ちょっと暖房の温度を下げようか。という気になった。

灯油も高いことだしね・・・
経済的にもね・・・

登山用の下着が温かいという話もどこかで読んだ。
スポーツ用品店にあるのかな?
かなり寒いんで(寒がり)、ちょっと探しに行こう。
冷えは万病の元。


砂漠のバラ

ちょっと前の話になるけど。

気軽なお茶席に招ばれ、畳の部屋に座った。
茶扇子と懐紙を持って。

お抹茶ではなく、お煎茶だった。
「煎茶道」というものであった。

ままごとのような小さいお茶碗に
ほーんのちょっぴりのお茶が注がれるのだけど、
これが!おいしい!

一煎目のお茶をいただいてから、お菓子をいただき、
二煎目をまたいただく。
味が変わって、おもしろいものである。
一煎目は甘く、二煎目はすっきり、という感じ。

「結構なご銘煎で」(←字はこれで合ってるかな?)
正客は挨拶をする。
あっ、そう言って感謝の意を述べるのね。

ふと点前座の向こう側に、何か飾られているのに気付く。
お抹茶の席では、飾られるものはある程度決まっているけど、
お煎茶はわりと自由な気風なのだろうか?

2月末のお煎茶会は、
床の間に小さな雛人形がたくさん飾られていて、
とても華やかだったのを覚えている。

今回の床の間はごく典型に、掛け軸、香合、茶花だった。
そして前述の点前座の向こうには、白木の板に載せられた蔦と・・・

「砂漠のバラです」

と、席主はおっしゃった。

砂漠のバラ?
この砂糖菓子みたいなもののこと?
白く半透明で石みたいだけど、触ると崩れそうな・・・
けっこう大きく、手の指を広げたくらいの大きさ。

砂漠のバラ ←ここの一番上の写真のようだった
気持ち、もうちょっと白かったかも・・・
お菓子のようだが、実は鉱物らしい。

「砂漠に突然出現するものなんですよ。
 どうしてこのようなものができるのか、 
 まだわかってないんですって。
 
 珍しいので、お店で見つけたときにすぐ買って、
 そのまましまったままだったんですけどね、
 今日、デビュー・・・?って言うんですか?」

と、席主の先生はお笑いになる。

ほ~、この世にはこんなものが存在するのか・・・

珍しいものを見せていただいた。

お茶の席は席主と客で盛り上げるので、
雰囲気は特に正客(お客の中で一番格上とされる人)
の力量に左右される。

席主はお客の様子に気を遣い、
正客は席主が
この席を用意するのに、どう心を砕いたかをすぐに読み取って、
客の代表として質問したり、
席の雰囲気を和やかに、また面白くする重要な役目がある。
なかなか大変なのである。

もちろん、私のような者はそこには座らない。
(『座れ』とも言われないが)
そんな恐ろしい席に座るには年輪と経験がいる。
ただし、男性は若くても「お正客の席にどうぞ」と勧められやすい。

お茶の先生なら、席中の会話はどうにでも持っていけると思う。
でも、こういう珍しいカンバセーション・ピースがあると
場の持たせ方も余裕ができるよね。

煎茶道はお道具が多くて、お点前も複雑そうだ。
茶碗5つにお茶を入れ分けたりするから、時間もかかる。

かなり長い時間だったと思うけど、全然気にならず、
(実はちょっと正座の足が苦しかったけど)
砂漠のバラと美しい茶碗を見つめていた。



こたつを出した。
ついでに部屋の模様替えと大掃除も始めた。
寒くならないうちに、ちょこちょこと。

モノは極力増やさないようにしているつもりだけど、
年をとるごとに、じわじわと増え続ける。

モノは処分するのに、気力と体力がいる。
明らかなゴミは捨てるのに何の躊躇もないけど、
大きい家具や、
「まだ使えるけど、もうおそらく使わないモノ」を
処分することがつらい。

あれこれ工夫して、床を広く取れるようにしたり、
掃除がしやすいように、隙間をあけたり。

片付けていて気付いたけど、
あちこち移動しなくても、必要なモノがすぐ手に取れるように
身近に固めていた。

例えば、わざわざ別の部屋のタンスまで行かなくても、
すぐに出せるように、
よく着る衣類は居室のバスケットに入れてたりとか。

本当は動かなければいけないのだけど、
何となく、おっくうになってしまっている。
冬に向かうといつもこうだ。

寒くなれば、なおさら動きたくなくなり、
暖かい部屋から出たくなくなる。
古い日本家屋のうちは、とても冬がつらい。

確か柴門ふみさんだったと思うけど、昔エッセイで
「広い家はいらない。すぐに何でも手が届く家が理想。
 掃除も楽」
と書かれていた。

私も全く同じ気持ちだ。
何でも一部屋で済めば、それが幸せ。

自分の部屋は、ホテルの部屋のように、
機能的でコンパクトでさっぱりした感じを目指し、
せめてゴチャついた感のないようにまとめたい。

人は部屋に入ったときに、
無意識に行き止まりの壁の隅に目が行くそうだけど、
ここに感じのいい家具やアクセントを置くと良いと聞いた。

今まではそこに衣類の籐バスケットを置いていて、
なんとなく生活感が漂っていた。

私はたいしたものは持ってないけど、
部屋の中で一番かっこいいと思っているドレッサーを
このポイントに移動させた。

そしたら。

部屋に入るときの第一印象が格段に良いではないか。

年を取るごとに、モノは増えてきてしまうけど、
年を取るごとにモノを減らすことを目指したい。

スティルになって、関節も心配だし、
毎日の片付けは、
なるべく簡単にすませることができるように
捨てる痛みをビシビシ感じながら、
ただいまちょっと早い大掃除中。

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